石棺仏の石の正体は古墳時代の「石棺」。古墳の中にあった石棺のふた石などに、中世になって仏像が彫られたとみられています。播磨は石棺仏の宝庫といわれています。全国に200基程ある石棺仏の約9割が播磨地方に集中しています。播磨の中でも、加西市・加古川市・加古郡・加東市に特に多く、その理由はよくわかっていませんが、これらの地方は、竜山石や高室石、長石の産地で石棺仏の材料である石が豊富にあったとされています。刻まれた仏像のほとんどが阿弥陀如来と地蔵菩薩であることから、浄土宗や浄土真宗の造形。主に阿弥陀如来は来世を、地蔵菩薩は現世を祈念しているようです。石棺仏の制作年代は鎌倉時代から室町時代までに限定されています
  那珂ふれあい館の石棺
(多可郡多可町中区東山)
厄除八幡宮の石棺蓋
(加古川市八幡町野村)
大日寺の石棺仏
(加西市野上町) 
加西市北部公民館の石棺
(加西市満久町)
阿弥陀堂の石棺仏
(加西市常吉町)
玉野薬師堂の板碑と蓋石二基
(加西市玉野町)
安養寺の石棺仏と蓋石
(加西市豊倉町)
乎疑原神社の石棺板碑
(加西市豊倉町)
福正寺の石棺仏と石棺蓋
(加古川市米田町平津)
辻の地蔵の石棺仏と身
(加古川市西神吉町辻)
小谷地蔵堂のよばりこき地蔵
(加西市北条町小谷)
観音堂(延寿寺)の石棺仏
(加西市中富町)
今善寺(無住)の石棺仏
(加西市畑町)
常楽寺の石棺の身・石棺仏
(加古川町大野)
教信寺板碑・石棺仏・石棺蓋
(野口町野口)
上原古墳の石棺蓋
(平荘町上原)
地蔵堂の石棺仏
(東神吉町神吉)
常福寺裏の石棺仏
(西神吉町大国)
国包の石棺仏(セイメイさん)
(上荘町国包)
天下原の石棺仏(こけ地蔵)
(東神吉町天下原)
大国墓地の石棺仏
(西神吉町神吉)
中筋西の石棺仏
(高砂市中筋)
構の石棺仏
(平荘町
神木の石棺仏・板碑
(平荘町神木)
西山消防庫隣の板碑4点
(平荘町西山)
ほほえみ地蔵
(平荘町西山)
里の観音堂石棺・石棺仏
(平荘町里)
地蔵堂の石棺仏
(平荘町養老)
養父寺 石棺仏
(小野市来住町)
常楽寺 石棺仏
(東神吉町神吉)
常福寺 石棺仏
(西神吉町大国)
正岸寺 石棺仏
(西神吉町岸)
上西条地蔵堂 石棺仏
(八幡町上西条)
常光寺 石棺仏
(神野町神野)
大龍寺石棺仏
(小野市西脇町)
願生寺公園墓地の石棺仏
(神野町神野)
成福寺墓地石棺仏
(八幡町上西条)
西之山阿弥陀石棺仏
(神野町西之山)
西之山共同墓地石棺仏
(神野町西之山)
堂田の石棺仏
(加古川市石守)
中津石棺仏
(加古川市中津)
那須野与一石棺仏
(東神吉町) 
真福寺 石棺仏
(西神吉町宮前)
皿池の二尊石棺仏
(志方町)
長楽寺 六尊石棺仏
(平荘町小畑) 
八尊石棺仏
(平荘町小畑) 
密蔵寺 石棺仏
(加西市網引)
上宮木石棺仏
(加西市上宮木)
玉野石棺仏
(加西市玉野)
地蔵寺 六地蔵石棺仏
(平荘町池尻)
報恩寺 四体阿弥陀坐像
(平荘町山角)
新中山石棺仏
(平荘町中山)
堂山六地蔵
(志方町広尾)
見土呂石棺仏
(上荘町見土呂)
山伏峠石棺仏
(加西市玉野町)
春岡寺 阿弥陀石棺仏
(加西市池上町)
永昌寺 阿弥陀三尊石棺仏
(神野町)
浄土寺の三体板碑
(小野市浄谷)
不動の尾石棺仏
(加西市網引)
浮彫地蔵菩薩半跏像石棺仏
(加西市網引)
ハメ塚石棺仏
(加西市網引)
倉谷 薬師堂
(加西市倉谷) 
如意山・周遍寺
(加西市網引) 
2023年9月7日、石棺仏めぐり
那珂ふれあい館の石館(多可郡多可町中区東山)
東山15号墳 径約25m、高さ約4.5mで、墳丘の立ち上がりの
周囲にはテラス・周溝が巡り、東山1号墳に
次ぐ規模をもっています
玄室長4.4m、玄室幅1.8m、玄室高2.4m
床面には20~30㎝の川原石が敷き詰められています
数多くの土器類、太刀、武器、馬具類等が発見されています
那珂ふれあい館の芝生に東屋風の建物の中に大型の
組合せ式石棺が置かれています。東山古墳群から
南西150mの、直径21mの円墳である
村東山古墳から出土したものです。
縄かけ突起はない。蓋石の大きさは長さ208m
幅91cm、組合せの高さは約90cm
側石は短側石が長側石を挟みこんでいる  築造時期は7世紀半ばとされています。
大きな破損はなく、播磨国の範囲内で
見られる珍しい完全品とされています
東山1号墳は、径約30m、高さ7m、古墳群内では
最大の規模を持っています
墳丘の立ち上がりの周囲には
見事なテラス・周溝が巡っています

2023年2月20日、石棺仏めぐり
厄除八幡宮の石棺蓋 【加古川市八幡町野村】
厄除八幡宮 鳥居 参道の階段を上った左右に家形石棺の蓋があります
右側と左側はほぼ同じ大きさです。両者ともに一端が土中に埋められています
屋根側の形状も大きな破損がなく綺麗な形で残っています 
神楽殿の南にもう一つの石棺の蓋があります  屋根面を下に内面を上に置かれています
現長91cm 幅98cm 厚さ27cm

大日寺の石棺仏 【加西市野上町】  
 大日寺 本堂  境内に並ぶ石仏群左から、石棺仏・異形阿弥陀如来・
背面十字架地蔵・弘法大師・延命地蔵・
異形大日如来 (野上町文化保存会)
 家形石棺の蓋です。内面の像は、二重円光背の後に更に大きな舟形光背をつける。像の傷みも進んで顔は定かではないです。
蓮華座の上に座す像は加西市指定文化財の名称は「阿弥陀如来」ですが「加西市史別巻加西の石仏」は
定印の上に薬壺らしきものを乗せているのと化仏があることから「薬師如来」としている。
薬師如来とされる石棺仏は他になく貴重です。南北朝前期の制作とされています 
 
加西市北部公民館の石棺 【加西市満久町】
 公民館の入り口右側に説明板が立てられ、組合せ式
石棺一式が置かれています。一部紛失した部分を
補い修復したと記されています。長側石が三枚の板石で
組み合わされている部分が補なわれたものと思われます
 大内町字ヤクチのヤクチ4号墳から出土したもので、
超小型の組合せ石棺の完成形態です
 
阿弥陀堂の石棺仏 【加西市常吉町】
 常吉公会堂の北に並んで阿弥陀堂があります
鍵がかかって内部を見ることが出来ません 残念です
よーく見ると扉の上部が剥がれ欠損しています
そこからカメラを入れて・・・
欠損した部分からの 阿弥陀堂内部
 組合せ式家形石棺の側石で、堂内の棚になっている
板に保持されて壁面に沿って立てられています
 像は薄い彫りで阿弥陀如来坐像を描く。
二重円光背を背に蓮華座に座す。腹前で定印を結ぶ、
面貌は削られているようでもあり定かではないです
 
玉野薬師堂の板碑と蓋石二基 【加西市玉野町】
 玉野薬師堂 大きな木の下に二つに割れた組合せ式石棺の
底石が立てかけられている。
 五輪塔  割れた部分を組み合わせると高さ214cm・幅106㎝
組合せ式石棺としては播磨の中でも大変大きなものになる。
石の周囲には側石をはめ込む為の溝が彫りめぐらされている。
 上部中央に阿弥陀如来の種子、右下に観音菩薩の種子、
左下に勢至菩薩の種子が薬研彫りで彫られています。
下部の石に建治3年(1277)の銘がある。
 板碑の左後方に二つに割れた家形石棺の蓋石があります。
片側の短辺には斜面がなく、三つ以上に割れたうちの
二つしか残されていないことが分ります。
 石仏の断片を乗せた石も、家形石棺の蓋石です  通路には石仏、石塔が置かれています
薬師堂前には沢山の石仏が無動作に転がっています 
 
安養寺の石棺仏と蓋石 【加西市豊倉町】
安養寺  本堂横に石仏や石造遺品が集められています。
この中に石棺仏?
石棺材と言えるものがあるかどうかは不明のようです

石棺仏裏に縄かけ突起の付いた家形石棺の
蓋石があります。もとは二体あったと思われています。



 ☚ 丸顔の地蔵菩薩石棺仏があります。
組合せ式石棺の底石の内面に像が彫られています。石は二つに折れているが、舟形の光背を作り、石棺としての身の幅いっぱいに像を刻んでいる。他に見られない真丸顔の地蔵菩薩坐像です。
   
 
乎疑原(おぎはら)神社の石棺板碑 【加西市豊倉町】
 乎疑原(おぎはら)神社  乎疑原神社拝殿
内面・・・右側には阿弥陀如来を示す種子キリークが浅い薬研で彫られています。
脇侍の観世音菩薩・勢至菩薩の種子が彫られているか不明であった。 
背面・・家形石棺の蓋であることを示す斜面が残されているのが分る。
両方の石塊の幅は90㎝。右の石の厚さは35㎝左の方は内面の彫り込みが薄くなり30㎝
二つの石は元は一体の家形石棺の蓋石であったものが二つに折れて今の形で残されているものと考えられています


2023年2月13日、今年に入って3回目の石棺仏めぐりです
福正寺の石棺仏と蓋 【加古川市米田町平津】
浄土真宗本願寺派 福正寺 本堂 本尊:阿弥陀如来
家形石棺の蓋が内面を上にして置かれています
長さ115㎝ 幅69㎝ 厚さ33センチ
境内の鐘楼の傍に石棺仏があります
 古墳時代の家形石棺の蓋を縦に半分に割り、内面側に地蔵菩薩立像が彫られています。右側に斜面、
左側には平面が残されています風化は進んでいるが地蔵菩薩が蓮華座に乗り錫杖を持っている姿を
確認することができますが、錫杖の先端がないのはスペースが足りずに彫れなかったのかなぁ 石棺現高さ90㎝ 仏像高さ30㎝
 
辻の地蔵(正念寺)石棺の身と石棺仏 【加古川市西神吉町辻】
 浄土真宗本願寺派 正念寺  本堂 本尊:阿弥陀如来
 手水舎の傍に石棺の身が置かれています  小型の石棺の身 縁の部分に切込みが入っています
 正念寺の前の道を上るように100m程行った先にコンクリート
ブロック製のお堂があり、中に石棺仏がお祀りされています
 お堂の周囲には水仙が咲き乱れています
 中型の刳り貫き式家形石棺の棺の身の両長辺側を
切り落とし、その底に二体の仏さまが彫られています。
 地蔵菩薩像立像と阿弥陀如来坐像ですが、
二体とも首から上が削り取られ痛々しいです。
南北朝時代後期の作とされ「鎌石地蔵」とも呼ばれています
 
観音堂(延寿寺)の石棺仏 【加西市中富町】
 観音堂(延寿寺)  お堂に向かって右手奥に石棺仏があります
 長側石とされていますが確証はないようです。
表面は石材に合わせて長方形に彫くぼめた中に像を
彫っています。中央は蓮華座に乗る阿弥陀如来坐像で、
左右に三体ずつ地蔵菩薩立像が彫られています
中程で折れて補修されています
阿弥陀像の下方に二体の坐像があります。
供養者の夫婦であろうか?
 
小谷地蔵堂のよばりこき地蔵と石棺仏 【加西市北条町小谷】
 小谷公会堂から西へ100m程入った所に地蔵堂があります  中に二基の石棺仏があります
 左の石仏は、刳り貫き石棺の身を利用した石仏で、
身は相当に小型のものです。身の上部短辺と両長辺を
切り落として底面に阿弥陀如来坐像が刻まれています
 中央がよばりこき地蔵で、家形石棺の蓋石を利用しています。地蔵と名付けられていますが、中央の仏は阿弥陀如来坐像で、周囲に六体の地蔵菩薩が刻まれています。銘から康永4年(1345)制作で、加西市の指定文化財になっています
(”よばり”とはおねしょのことでのことで、お参りすると子供の夜尿症が治すのに効果があると言われています)

今善寺の石棺仏 【加西市畑町】 
獣除けの柵を開けて山中へと入っていきます 
多分ここが、今善寺
今善寺本堂(無住) 
 荒れ放題の境内
石棺仏を探して山中へと・・・
寺の奥の山裾に数基の墓石がありました
その中に石棺仏が立てられています 
 組合せ式家形石棺の短側石の外側の面に、六地蔵が彫られています。像は上下二段に分けて三体ずつ蓮華座にの上に立つ地蔵菩薩立像が刻まれています。上段左右の地蔵立像は上部が欠けていて風化も激しく像容は定かではない 先人たちがお参りしたであろう参道を戻ります 

2023年2月9日、石棺仏めぐりです
常楽寺の石棺の身と石棺仏 【加古川市加古川町大野】
高野山真言宗 寶生山 常楽寺
(加古川市加古川町大野)
境内に咲く梅は見頃
 庫裏前の庭園は綺麗に整備されています  本堂 本尊:大日如来
 宝塔・・円筒形の塔身に平面方形の屋根をもつ
一重塔の形式の仏塔で、銘文から文化元(1804)年の
ものであることが分っています。
宝塔前に石棺の身と、両脇には石棺仏が・・
 層塔・・鎌倉時代末期から南北朝時代頃の形式示す層塔。
はじめは十三重塔であったと考えられていますが、
一部の笠の部分などが欠失しています。
 塔身に胎蔵界四仏の種子が刻まれています  石棺の身・・上部の一角が欠け、上端面の一部「に
溝が彫られ、二か所に水抜き穴の加工が加えられています。
宝塔左側に、鎮座するお地蔵さま  組み合わせ石棺の側石を利用した石棺仏
上部を三角に削り、二本の横溝を付けた下に地蔵菩薩坐像を
刻んでいます。菩薩は光背を背に錫杖を持ち蓮華座に
座しています(室町時代後期の制作)
境内本堂裏にミニ四国八十八か所がありました 
 
教信寺の板碑・石棺仏・石棺蓋 【加古川市加古川町粟津】
 天台宗 教信寺
(加古川市野口町野口)
 本堂 本尊:阿弥陀如来
平安時代前期に念仏の先駆者として活躍した僧、
沙弥教信上人(781~866)の庵跡に建てられた寺院
 教信沙弥廟の中にある「板碑」の表と裏 (裏面はかなり削られている部分があります)
中型の家形石棺蓋石の内面掘り込み部に阿弥陀三尊を表す梵字(種子)が彫られています。中央上の種子が阿弥陀如来、下左が勢至菩薩、
下右が観世音菩薩を表しています。太く、深く彫られ、まだ風化もしていないうえ墨が入れられているので明瞭に見ることができます。
その下に【三界六道二十五/有有先雨緑一切/霊等皆成佛道】と三行にわたって書かれています。(昭和43年(1968)の銘が入っている)

 石造五輪塔(県指定文化財)
沙弥教信上人の墓塔と伝えられ廟所内に建っています。
容姿も堂々とした風格をもっている。
水輪の正面には種子を刻み、その手法は薬研削り。
花崗岩製・総高2.08m



石棺仏は墓地の寄せ石碑の中にあります。家形石棺の蓋から切り出した石材が使われています。蓋石の四分の一か五分の一程度を切り出したもので肉厚に阿弥陀如来坐像が作り出しています。蓮華座も立体的に彫られています。阿弥陀像の後ろには円光背が描かれています  ⇒
墓地の中に、石棺の蓋 古墳時代後期(6・7世紀頃) 凝灰岩(竜山石)製 地上高さ139㎝ 幅87㎝ 厚32㎝ 
 教信寺の塔頭の一つである「常住院」に家形石棺の蓋があります  見事なお庭になっています
 駐輪場奥の井戸の横に屋根部を下にして台に据えられている。右側短辺が削り落とされ、左側短辺は上面が
削られ、刳り抜き幅も広げられるなど、後世にかなり手が加えられているようです。全体に風化も進んでいますが
色合いを含めて風雪に耐えた趣を感じさせる蓋です。
 
上原古墳の石棺蓋 【加古川市平荘町上原】
 小高い丘の上に小さなお堂が建っています  お堂の裏が上原古墳です。
古墳時代後期の円墳と推定されています
 古墳の斜面に家形石棺の蓋が無造作に置かれています  風化は進んでいますが大きな欠損部分はないです。
 
神吉公会堂正面 地蔵堂の石棺仏 【加古川市東神吉町神吉】
 地蔵堂内に、二体の石棺仏がお祀りされています  二体とも刳り貫き式石棺の身が使われています
(いずれも制作時期は室町時代後期)
 左側のものは上部の短辺が削り落とされ、別の石が乗せられている。
こちらの像は宝珠を両手で持つ地蔵菩薩立像です
蓮華座は三弁で出来ている。厚肉に彫られ、
衣紋の流れも綺麗に見えます
 右側は地蔵菩薩立像で左手で宝珠を捧げ持ち、右手に
錫杖を持っている。像の浮き彫り自体は厚いものになっていますが、
衣紋などの彫は浅い、風化して消えかかっています。
 
常福寺裏の石棺仏 【加古川市西神吉町大国】
 常福寺山門を右に曲がり塀沿いに裏に
回ると三基の石棺仏とされるものがある
 三基とも周辺の石は相当欠けています。
中央・・古墳時代の組合式石棺の板石と考えられる石材に蓮華座に乗る、
阿弥陀如来坐像が舟形光背の中に刻まれています
 左側のものには錫杖を持つ地蔵菩薩立像が刻まれています。
左右の二基は石棺材か疑問視する考えもあるようです

 2023年2月6日、今年に入って初めての石棺仏めぐりです
国包の石棺仏(セイメイさん) 【加古川市上荘町国包】
上荘町国包 道路を背にしてお堂が立ち
その中にお祀りされています
お堂内部右側に、古墳時代の組合せ式石棺の板石に「仏像が彫られてれていたように思われます」と書かれているレベルであるので、今見ても判然としない。「雨の神さん」と呼ばれているそうです。
お堂の中のセイメイさんは家型石棺の蓋に彫られています。
地蔵菩薩像とされていますが、いわゆる地蔵菩薩立像や
坐像の姿ではないです。凝灰岩(竜山石)
女性像のように見えます
厄神駅の近くの井戸を掘っていて発見されたと言われています
高さ149㎝ 幅85㎝ 厚さ40㎝
 
天下原の石棺仏(こけ地蔵) 【加古川市東神吉町天下原】
 加古川ウェルネスパークへ南からの坂道を上って行くと
ウェルネスパークに至る右手側の角の奥に天下原石棺仏がある。
 すぐ傍に丸い石が置かれ、お花まで添えられています
 家型石棺の蓋石に舟形光背を作り、さらに頭部を囲む丸い
光背を持つ地蔵菩薩立像が厚肉で彫られています
陰陽師の蘆屋道満の魂が都へ向かって飛んでいく時に何度もこの地蔵に突き当たるので、こけ(倒れ)かけていると伝えられています
宝珠を捧げ、錫杖を持っている
顔の一部と衣装の下部が破損しているのがちょっと残念
高さ128㎝ 幅105㎝ 厚さ40㎝ 凝灰岩(竜山石)
南北朝時代
 
大国墓地入り口の石棺仏 【加古川市西神吉町大国】
 県道515号線の大国バス停と大国団地バス停の中間辺りの
西側に墓地があり、墓地へ行く道の右手に石棺仏があります
石棺仏の隣に六地蔵?? 
阿弥陀如来さまのようなお姿も
 中型石棺の蓋石の内面に光背を背に
阿弥陀如来坐像が彫られています
手は定印を結ぶものと思われる。
風化しているが目鼻立ちも確認出来るが蓮華座は不明瞭です
制作時期は室町時代中期 
 
中筋西の石棺仏 【高砂市中筋2丁目11】
 住宅地の中にあるので分り辛いので、駐車可能な
スペースを見つけ歩いてさがします
コンクリート製のお堂の中に、大きな石仏が
三体と小さな石仏が数点置かれています 
地蔵菩薩と阿弥陀如来坐像  錫杖と宝珠を持った地蔵菩薩像
 家形石棺の蓋に肉厚の阿弥陀如来坐像が
彫られています
高さ122㎝ 幅72㎝ 厚さ39㎝
 石仏?梵字?何が彫られているかはっきりしません
説明板ぐらいは欲しいです
この地域の周辺から発見された物が集められている感じです 
 
長楽寺の構の石棺 【加古川市志方町氷室】
大藤山 長楽寺 浄土宗西山禅林寺派  石段傍にお地蔵さま 
 境内・・本堂再建協力お願いの看板が・・・
本堂は平成23年9月4日、台風12号の豪雨により発生した大藤山の2度にわたる土砂崩れにより、本堂始め堂宇の殆どが土砂に飲み込まれ正面にあるはずの本堂はないです
 山門右側に、層塔(部分)・石幢(塔身部分)
構の石棺と並んでいます
層塔の上にお地蔵様が鎮座
この石幢の残欠は、十三重層塔の一部と考えられるもので、
基礎石と1層の笠石が残り、共に花崗岩製。復元すると
その総高は約570㎝となり十九尺塔として造立されたものと
考えられています。(鎌倉時代中期頃の形式)
構の石棺
組合せ式石棺の底石
古墳時代後期 凝灰岩(竜山石)製
長さ115㎝ 幅57㎝ 厚15㎝
長楽寺の幢塔・・・自然石の上に据えられた六角の石造品は
重制の六面石幢塔身の部分で、もとは下部に竿部、
上部に笠と宝珠があったと考えられています。
六角形の各部分に六地蔵の立像が刻まれています。
磨減がひどくはっきりと分らないが、
合掌・捧珠・持錫等の姿が微かに分る

2022年6月13日、10回目の石棺仏めぐりです
【神木の石棺仏 【加古川市平荘町神木】
 熊野神社西側、道路に面して小高くなっているところに、神木石棺仏があります。 
 中央:大型の家形石棺の蓋石を利用したものです  右隣、何か彫られていますがはっきりしません
 二重光背を持つ一体の阿弥陀如来坐像が刻まれ
下部には蓮華座が線刻されています。
棺の身に接する面は綺麗な平面をなし、
石棺としての丁寧な作りになっています
 左側の五輪塔は空輪を欠失し
別物をn載せ立っている
 内面彫り下げ部をさらに深く掘り刻まれています
一般に「大日さんの石仏」と呼ばれています
 背面の屋根型は綺麗に残っています
 大日さんの石仏の場所を下りた所に、コンクリートブロックに囲まれた一角がありその中に神木の釈迦一尊種子板碑が・・  組合せ式石棺の底石が使われています。
 中央部分に周囲より高い段が付けられ段の中に
薬研彫りで梵字が、釈迦如来を表すバクを刻んだものです
後方:元東林寺跡にあったものが
この場所に移設されました
 
 【西山消防庫隣の板碑4点 【加古川市平荘町西山】
 西山消防車庫隣の板碑:中央の板碑は組合せ式石棺の側石に金剛界大日如来を意味する種子が刻まれています
左隣にあるものは欠損している部分が大きく、現在見られるのは阿弥陀如来の梵字のみとなっています
 左:組合せ式石棺の長側石、阿弥陀三尊の種子が刻まれています。中央に上に大きく阿弥陀如来を表す梵字、
右下に観世菩薩を表す「サ」、右下に勢至菩薩を表す「サク」が彫り方は浅く風化により読みにくい。
右の板碑は組合せ式家形石棺の底石を利用したもので、阿弥陀如来を意味する梵字が彫られています 
 
ほほえみ地蔵 【加古川市平荘町西山】
 西山のお堂 ほほえみ地蔵  右は刳り貫き式家形石棺の身の側板部分を削り落とした底の内面に線刻によって表現された蓮華座の上に立つ地蔵菩薩立像です。
 組合せ式家形石棺の長側石を利用したもの。  左手に宝珠を捧げ、右手に錫杖を持ち頭光の中に描かれた顔立ちはふくよかである。この顔を燈明の明かりで見るとほほえんでいるように見えることから別名「ほほえみ地蔵」と呼ばれています
(応長元年(1311)制作)
 上の像は地蔵菩薩坐像で蓮華座に乗り
宝珠を捧げ錫杖を持っています。
 下の像は、亡き夫と自分を彫ったもので、亡き夫の供養と
自分の死後の冥福を祈り手を合わせている
 
 【里の観音堂石棺・石棺仏 【加古川市平荘町里】
 里の観音堂  観音堂の左右に、家形石棺の蓋二基が内面を
向かい合わせるように立てられています
 右側は幅90㎝で屋根の形をよく残しています。
内面には深い彫り込みがあります
 左側は幅85㎝、何箇所か加工の手が加えられています
 観音堂の左手奥に石棺仏があります  上部はいびつな円を描くように削られていますが長側石、
舟形光背を大きく彫り、中に乗る阿弥陀坐像が刻まれています
 光背の左右の面を一段低く削っているため、
像は石の表面より浮き出たようにまっています
 石棺仏石段上に古い五輪塔等が
まとめて置かれています
  
地蔵堂の石棺・石棺仏 【加古川市平荘町養老】
 養老の石棺  石棺側の木々に隠れるように五輪塔??
養老 地蔵堂の石棺仏
小さな公園にコンクリートブロック製の建物が2棟あり、左の建物に1基の石棺仏があります。組合せ式家形石棺の長側石に4体の阿弥陀坐像で上下に2体ずつ彫られています
 上部:三弁の蓮華座に座る形で、
光背は二重光背になっています
 下部:表面が黒ずんでいるのは香煙によるものという。一時期、溝の橋として使われていたものが石棺仏と分り、改めてお祀りされるようになったとか  右の建物にはお地蔵様の両端に2基の
石棺仏が無造作に置かれています
 左の石は欠損が大きいが組合せ石棺の短側石で、左に阿弥陀坐像、
右に錫杖を持つ地蔵菩薩立像が深彫りされています
 組合せ式石棺の側石に蓮華座に乗る阿弥陀坐像が、
合掌する姿で、光背は二重、三体は残っていますが
下左は石が欠けれしまっています。


2022年6月2日、9回目の石棺仏めぐりです
養父寺 石棺仏 【小野市来住町】
養父寺(小野市来住町1099)
養父寺は飛鳥時代に聖徳太子が開創したと伝えられる東明寺の
廃寺跡に1678年姫路藩主が再興した黄檗宗のお寺です
寺の正面参道脇に仁王像の如く、祀られています
探すのに苦労しました。
左側は156×71×24㎝の側石に、右側は160×72×24㎝の底石にそれどれ
蓮華座上の地蔵菩薩立像を浮彫し、線彫りで細かく彫られています
右手に錫杖を持ち左手に宝珠を
持っているように見えます
右側の石棺仏のお顔を・・・
2基ともに、室町中期頃の造立と推測されています。
本堂へと・・・ 本尊:薬師如来  南北朝時代の供養塔で、高さ4mで花崗岩製で一部
破損していますが九重の塔婆と考えられています
貞和4年(1340)に建立
 
常楽寺の石棺・石棺仏 【加古川市東神吉町神吉】
 常楽寺(神吉城跡)
(東神吉町神吉1413)
 本堂 本尊:阿弥陀如来
 石棺の身 凝灰岩(竜山石) 古墳時代後期 長さ114㎝ 幅56㎝ 高さ40㎝
 鬼瓦のオンパレード
建て替えの時の鬼瓦かもしれません?

 石棺の身に半肉彫りした地蔵菩薩像
珍しいのは上部を屋根状に丸く加工しています。
現在の大きさは88cm×72cm×25.9cm
お顔を・・ 
 
常福寺の石棺仏 【加古川市西神吉町大国】
 常福寺(西神吉町大国340)
境内にある鐘楼の袴部分がはみだしています
本堂前のアナベルが見頃
手入れが行き届いています
 境内にピンクのアナベル  山門を入った右側、境内南壁前に二体の石棺仏ある
阿弥陀如来立像が彫られています
家型石棺の蓋を利用
 112×69×26㎝(像高さ47㎝)
錫杖を持つ地蔵菩薩立像が彫られていますが
組み合わせ石棺の底石を利用
93×72×25㎝
  頭光は三本一組の放射光光背が見られるが
写真では判り辛いです
 風化が進み、かなり見難いです
 
正岸寺の石棺仏 【加古川市西神吉町岸】
 正岸寺(西神吉町岸488)
陰陽師として有名な安倍晴明のライバルとして知られる、
蘆屋道満(あしやどうまん)
の屋敷があった寺。
 本堂
 山門くぐると左手にある庭園に石棺仏 築山の中に立つ石棺仏は底石に
阿弥陀如来が刻まれています
 蓮華座ではなく、四角い台の上に座しています
96×56×16㎝ 像高29㎝
室町時代後期、凝灰岩
 お顔を・・・はっきり見ることが出来ません
 石棺仏と弘法大師像を横から 境内の隅に石仏と石塔が多数・・・ 
 すぐそばに刳抜式石棺の身で、一部破損しています。
117.5×62×45cm 境内の土中から発見されたそうです
古墳時代の家形石棺の蓋石。はじめ岸墓地の
供物台であったが正岸寺に移動されました  

2022年㋄28日、8回目石棺仏めぐりです
上西条地蔵堂の石棺仏 【加古川市八幡町上西条】
上西条地蔵堂
公民館の向かいに広場があり、奥に小さなお堂があります
地蔵堂の中、左手にお祀りされています
家形石棺の蓋に地蔵菩薩立像が彫られています
造られた時期は南北朝時代から室町時代
高さ85㎝、前掛けがしっかりされており、
お顔から下は見えません
 お堂の裏ににある石棺は、古墳時代の組み合わせ式石棺の
側石の部材で元の長さは164㎝。現在は長さ87㎝・幅66㎝
お堂横に、これは??
 
常光寺の石棺仏 【加古川市神野町神野】
 常光寺山門(南側)  本堂
江戸時代播磨三十三ヶ所観音霊場を定めた南室禅師が入寂した寺で、播磨三十三ヶ所霊場番外札所になっている、
禅寺でもあり堂宇は勿論、境内の手入れも行き届いていました。
 本堂奥(横)の無縁仏の前列付近に
石棺仏と呼ばれる石造物があります
 組合式石棺の底部を転用したものらしく
2体並んで彫られています
 左側に地蔵菩薩、右側に阿弥陀如来が彫られているようですが
風化による損傷が激しくよく分からない
常光寺:五輪塔
本堂裏側になる境内北隅にあります
南北朝時代 凝灰岩(竜山石)高さ178㎝
守護大名赤松義村の墓ともいわれています

2022年5月26日7回目の石棺仏めぐりです
午前中は、有酸素運動(カーブス)、昼食後は花々の手入れ 夕方まで時間があるのでちょっこと近場の石棺仏めぐりです。
大龍寺の石棺仏 【小野市西脇町】

淵宝山 曹洞宗 大龍寺(小野市西脇町20)
長い石段の途中の中程に石棺仏があります

134×52×25㎝の石棺の底板に六体の地蔵菩薩立像を
半肉彫りしています。

南北朝時代頃の作と伝えられています。

上段の地蔵菩薩立像

下段の地蔵菩薩立像

 横から  本堂 本尊:阿弥陀如来
 手入れの行き届いた境内です。  山門横にクスノキの巨木(市保存樹になってます)
 
願生寺経塚公園墓地の石棺仏 【加古川市神野町神野】
 願生寺経塚公園墓地の石棺仏(神野町神野952  願生寺墓地の石棺仏
 上段に阿弥陀如来坐像二軀を彫り、下段に供養者と
考えられる男女の像が彫られています。

南北朝時代の制作と思われます
右に阿弥陀如来立像、左に地蔵菩薩像を彫出したもので、
室町時代の制作と思われます。
 
成福寺の石棺仏 【加古川市八幡町上西条】
 成福寺(加古川市八幡町上西条546  成福寺の南側にある墓地の中にあります。
 高さ85cm、幅46cmの組合せ式石棺の側石に
像高
44cmの地蔵立像を薄肉彫りしている
延命地蔵で、右手に錫杖を左手に宝珠持つ。
石仏は胴の辺りで断裂しています。
 高さ91㎝、幅66㎝の家形石棺蓋石に像高27㎝の
地蔵立像を薄肉彫りしたもので、どちらも南北朝時代から
室町時代に造られた物と考えられています
本堂横のお庭  本堂
 横から庫裏を・・・ 庫裏前の庭園 手入れが行き届いています。
 
西之山阿弥陀石棺仏 【加古川市神野町西之山】
西之山阿弥陀石棺仏
加古川市西之山公民館の裏にあります。
笹の中に埋もれていてちょっと分かりにくいです 
 彫も深く目鼻立ちもはっきりの残っています。
 家型石棺の蓋石を利用して、石棺の両端を削り落とし、中央に阿弥陀坐像を厚肉彫りしています。地元では「お釈迦さん」としてお祀りされています。166×48×32㎝の大きさで、南北朝か室町時代初期のものと思われています。 石棺仏前の五輪塔
 
西之山の共同墓地 【加古川市神野町西之山】
 加古川市神野町西之山の共同墓地の入口に、
二体の石棺仏が並んで立てられています。

どちらも作風が似ており、周辺の石棺仏とも共通する
様式であり、南北朝時代の作と思われます。
ともに組合せ式石棺の側石を使用しています。

左側は116cm×66cm×10.5cmの石材に一体の地蔵立像と
三体の弥陀座像を薄肉彫りしています。

右側は130cm×67cm×20cmの石材に
二体の弥陀座像を浮彫しています。
 


2022年4月18日、6回目の石棺仏巡りです
堂田(どうでん)の地蔵 【加古川市神野町石守】
堂田(どうでん)の地蔵
神野町石守の皿池の北の田んぼに3体の石仏が
お祀りされている。そのうちの一体が石棺仏です
こぼれ地蔵
古くからこの地に祀られていた地蔵で、その昔
石守の宝雲寺の仏たちを野寺に移す途中、
こぼれ落ちたものであるといわれています
右隣の宝篋印塔の基礎、上にのる五輪塔の火輪と同じ
室町時代に造られています。
石棺仏
石棺の蓋に、南北時代に阿弥陀如来の坐像(60㎝)を
彫ったもので、角型の屏風のような形であることから
「屏風岩」ともいわれています
立石地蔵(たごりの地蔵)
咳の病に願いをかけると早く治り、ハッタイ粉を持って
お礼参りをしていたといわれています。
南北時代に造られました
石棺仏阿弥陀如来さまの、お顔 立石地蔵の、お顔

 
【中津石棺仏 【加古川市中津】
中津構居跡
加古川市中津
中津のごんげんさん
熊野神社 若一王子権現
祭神は国常立命・伊邪那岐命・伊邪那美命の
三神がお祀りされています

境内に御神木 中津の権現社、加古川の水管橋のすぐ東にある、
中津石棺仏
  左)石棺仏は105cm×83cm×24cmの石棺材に弥陀如来と思われる如来座像が浮彫にされています。風化が激しく、時期の特定は困難ですが、室町期の作と思われます。 横の頭が三角帽子で下に二段の切込みがある板碑も、相当古いものと思われおそらく室町中期以前の造立と考えられています お顔が削られています。
頭や歯が痛いときに石でお顔を擦り、その白い粉を
痛いところにすり付けると不思議なことに治るそうです。
治ったらお礼に河原で拾ってきた丸い石をお供えするとか。
なるほど、石棺仏の側に丸い石がありました


2022年3月3日、午後から、石棺仏巡り5回目です
那須野与一石棺仏 【加古川市東神吉町神吉】
那須野与一石棺仏 駐車場
加古川市東神木町1101-5
高砂北条線43号線沿いにあります
那須野与一の石棺仏
那須野与一は、源義経に従い屋島の合戦で平家の
扇の的を弓で射落とした話で有名な武将です。
家型石棺の蓋に、地蔵菩薩坐像が彫られています
銘がないので、何時造られたものか、はっきりしませんが、
室町時代中期に以前に造られたものと考えられています
半分に折れた石仏は、石棺の身に地蔵菩薩立像を
彫ったもので、こちらが
「那須野与一さん」と呼ばれたそうです
「信仰すると長煩いせずにすむと」石碑に刻まれています 石棺仏の後方に五輪塔

 
真福寺の石棺・石棺仏 【加古川市西神吉町宮前】
真福寺 (西神吉町宮前261-1) 真福寺境内に石棺
凝灰岩のくり抜き石棺の身で、古墳時代後期(七世紀)に
造られた考えられています。
長さ110cm・幅55㎝・高さ35㎝
真福寺の北東隅、お堂側に組み合わせ石棺の底石と並んで阿弥陀如来坐像
宮前の石棺仏
向かって右の大きな石板は、古墳時代の組み合わせ
石棺の底石の部材です。長さ172㎝・幅95㎝・厚さ28㎝
古墳時代中・後期(5・7世紀)の家型石棺の蓋石の内側に、
南北朝時代(14世紀)頃に、舟形光背を表現した刳り抜き部の
中で蓮華座上に座す通肩の衲衣(のうえ)をした
阿弥陀如来坐像を彫り出したものです 
お顔を・・像高さ47㎝
地上高さ132㎝・幅81㎝・厚さ40㎝

石棺底石の後ろ側を・・・ 
 
皿池の二尊石棺仏 【加古川市志方町】
 皿池の二尊石棺仏
皿池と呼ばれる溜池は加古川市に三か所にある。この石棺仏は志方小学校の南西の
県道65号線と515号線の交わる交差点の北西にある皿池の北西隅の空き地にあります 
皿池の二尊石棺仏。綺麗なお花が生けられています。 
石棺の上半に高さ30㎝の阿弥陀如来と地蔵菩薩の坐像が刻まれています。
室町時代前期に彫られたものと考えられ、均整がとれて気品がある石仏として志方町随一といわれています 



2022年2月14日、石棺仏巡り4回目です
長楽寺の六尊石棺仏 【加古川市平荘町小畑】
石垣に囲まれた長楽寺 
(加古川市平荘町小畑)
長楽寺は曹洞宗の寺院です
聳え立つ山門前にお地蔵さんが、
お祀りされているお堂があります
 山門をくぐると直ぐに古い石仏が出迎えてくれます 本堂
本堂の西横に墓地があり、その中に石棺仏があります
長楽寺六尊石棺仏(市指定文化財、南北朝時代前期、
流紋石、高186㎝ 幅121㎝ 厚さ26.6㎝)
石棺仏の手前に、くり抜き石棺の身が置かれている
中段は地蔵菩薩立像
縄掛け突起付きの家型石棺蓋
 上段、二体の阿弥陀如来仏(光背を彫りくぼめ
如来坐像が半肉彫りされています)

 下段、坐像と立像の地蔵菩薩

八尊石棺仏 【加古川市平荘町小畑】
平荘の田園風景が広がる一角に八ツ仏(八尊石仏)と呼ばれる石棺仏があります (加古川市平荘町東小畑)
覆屋に安置されている、八ツ仏 上段の二体と縁部四体は阿弥陀如来像、内側下段の
向かって右の像は地蔵菩薩、向かって左の尊名は不詳
八ツ仏(八尊石仏)市指定文化財、南北朝時代
高さ155㎝ 幅116㎝ 厚さ88㎝ 凝灰石
隣の巨石は石棺??


2022年2月7日、花の便りが届くのに、もう少し時間がかかりそうなので石棺仏めぐり、第三回目です。
密蔵寺の石棺仏 【加西市網引】
高野山真言宗如意山 周遍寺 密蔵院 (加西市網引町)
楼門の前の広場に観音像を中心として、古い墓石などが集められた一角があります。
その墓石に向かって手前に、古い石棺仏があります
石棺蓋に阿弥陀如来坐像石棺仏
鎌倉時代の制作といわれています

彫は深く体躯の割に大きく
四角い頭部が目立ちます
 
上宮木石棺仏  【加西市上宮木】

上宮木石棺仏  (加西市上宮木)
上宮木石仏と呼ばれる石棺仏は加西中学に対面する上宮木集落の中程、木立を背にした道路脇一列に立ち並んでいます
石棺底石に浮彫阿弥陀如来坐像
凝灰石 高さ131㎝、幅74㎝ 厚さ20㎝
極楽浄土への成仏を願う阿弥陀信仰の表れとされています

阿弥陀仏を表す「キリーク」 の梵字仏で、
これも石棺石が利用されています
 
玉野石棺仏 【加西市玉野】
全く人通りの無い田舎道、雑木林に隠れるようにあるのが、玉野石棺仏、何ともいえぬ風情があります
阿弥陀如来坐像石棺仏(市指定文化財)鎌倉時代後期
凝灰石 高さ180㎝、幅103㎝、厚さ27㎝

裏側を見ると石棺の蓋であることが分かります
 
地蔵寺の六地蔵石棺仏 【加古川市平荘町池尻】
地蔵寺立派な石垣のお寺です
(加古川市平荘町池尻上の山1271-1
山門前に堂々たる仁王像!!
曹洞宗 地蔵寺 本堂 市指定文化財になっている石棺仏が並んでいます
六地地蔵石棺仏 
鎌倉時代後期 高さ135㎝ 幅102㎝
下段、合掌する男女の被供養者像

地蔵立像(鎌倉時代後期、高さ147㎝ 幅62㎝ 像高44.5㎝
上部に二重円光背を彫くぼめ、右手に鍚杖、
左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像が刻まれています
 
報恩寺四体阿弥陀坐像 【加古川市平荘町山角】
報恩寺山門へ続く石段
(平荘町山角)
山門側に
この石棺は、くり抜き石棺の身で
この近くの古墳から発見されたものです
長さ147m 幅66㎝ 高さ55㎝
報恩寺本堂 本尊・十一面観世音菩薩
和銅6年(713年)、慈心上人の開基と言われています
石棺板碑  風化して読めないです
阿弥陀三尊を梵字種子で薬研彫。
弘安七と読める銘文があることから、
鎌倉時代の弘安7年(1284)に作成。
この塔は花崗岩製の十三重の層塔で基礎の左側面に
「常勝寺 元応元年己末11月6日」の銘があり、
鎌倉時代後期(1319年)に造立。総高5.64mで
十九尺塔として造立されたものです
四体の阿弥陀坐像
この石仏は組合式石棺の側石に四体の阿弥陀坐像を彫い出したものです。各仏像は線刻した蓮華座と舟形の輪郭の中に彫り出されています。銘文 文和2年2月から南北朝時代の造立であることがわかる
地蔵菩薩

石造五重層塔
 
新中山阿弥陀坐像石棺仏 【加古川市平荘町中山】
 昭和50年頃、中山集落の一部と集落の熊野神社は権現ダムの建設より水没した。それに伴い、
中山集落と熊野神社は平荘町神木(こうぎ)の東に移動し、新しい集落は新中山と命名された。
中山にあった熊野神社は、うっそうとした木立の間にあり石段を登りつめた所にある荘厳なお宮でした。
新中山の新しい熊野神社の鳥居をくぐり石段を進むと、すぐ左手に石棺仏を見つけることができます
(本当はすごく探しました)
新中山阿弥陀坐像石棺仏
家形石棺に舟形光背の中に合掌した阿弥陀坐像が
刻まれています。家形の屋根の斜面の部分に
仏像を彫った珍しい石棺仏です
裏側
凝灰石(竜山石)製 南北朝時代 高105㎝
仏像 高さ21.5㎝ 中山権現社

 
堂山六地蔵 【加古川市志方町広尾】
堂山六地蔵 (志方町広尾)
広尾東バス停前の堂脇に六地蔵石棺仏が在ります
広尾地蔵堂の六地蔵石仏 
家形石棺の蓋石に舟形光背をもつ6体の地蔵菩薩立像を
上下二段に分けて半肉彫りしたものです。
六地蔵の左下には、この石仏の施主とみられる
女人の姿が刻まれています。
南北朝~室町時代 凝灰岩(竜山石)
 高さ90㎝ 幅64㎝ 厚さ27㎝

六地蔵左側の石仏は何も説明がなく
座台に文字が刻まれていましたが読み取ることが
出来ませんでした
 
見土呂石棺仏 【加古川市上荘町見土呂】
大師堂
(上荘町見土呂)
見土呂石棺仏
高さ174㎝  幅125㎝ 
室町時代
 前に傾いています。  阿弥陀三尊像を半肉彫りしたもので、石仏としては
保存状態が、非常に良好です
室町時代前期、赤松満祐の管下おかれた井口城の城主の娘「見土呂姫」の悲しい伝説が残っています 

2022年2月3日、田舎の風情が残る淡河町で、ふんわりもちもち美味しいベーグルが食べられる茅葺屋根の
パン屋さん【はなとね】へ、行ってきました。その帰りに山伏峠石棺仏へと2回目です・・・淡河から加西市山伏峠まで40数キロ、 
山伏峠石棺仏 【加西市玉野】
加西市玉野町のスポーツ施設【アラジンスタジアム】と
ため池の間に里山へ向う細い道を進みます。
「山伏峠の石棺仏」3基並んでいます
加西市玉丘町

           阿弥陀座さまのお顔を・・



←一番手前の石棺仏は、縄掛け突起付きの家型石棺蓋
石そのままの内側に阿弥陀座像が刻まれています。

播磨石棺の石棺仏で一番の大きさという事です。
高さ2.25m幅 1.24m 厚さ40㎝

 石棺の蓋石に7体の地蔵が刻まれています。
左手に宝珠を持つ地蔵菩薩半跏像半跏を中央に、その左右に3体ずつの地蔵菩薩立像(六地蔵が彫られている)
播磨の石棺仏では唯一、長持ち式石棺を使った石棺仏で左右各2個の縄掛け突起をそのまま残していて、
この石棺仏の魅力になっています。

高さ2.1m 幅1.05m 厚さ18cm  左下部に暦応元年(1338)の銘がある。
石棺材を舟型に形成し、阿弥陀座像と
左右に地蔵が刻まれています。


山伏峠の石棺仏を後に、
春岡寺の阿弥陀石棺仏へと向かいます
 
春岡寺 阿弥陀石棺仏 【加西市池上町】
 春岡寺の阿弥陀石棺仏は、鎌倉時代のもので秀逸といわれています。
春岡寺の開創は不詳ですが、多くの石仏が残り、徳本上人石像と名号碑が目を引きます
加西市池上町の田園の中に小さな薬師池を囲み込む様に
緑濃い森が広がり、池を前面にして小さな本堂の春岡寺が
ひっそりと建っています
薬師池沿いを突き当りまで進むと、
境内入り口に辿り付きます 
境内に入るとすぐに多くの石仏達が出迎えてくれます

優しいお顔の阿弥陀様
市指定の文化財


多数の石仏たちを・・・
腰の辺りで大きく二つに折れていますが、
高さ2m、幅98㎝の大きな家型石棺蓋石の内面に、
阿弥陀如来坐像を浮彫りで刻んでいる
南無阿弥陀仏名号碑と徳本上人像 高野山真言宗春岡寺本堂 
本尊・阿弥陀如来
本堂前に蠟梅が・・ 春の足音が聞こえてきそう

2022131日、不動の滝を検索したところ、「不動の尾石棺仏」が・・・一目で見てみたいと思い石棺仏巡りに出かけてみました。石の正体は古墳時代の「石棺」。古墳の中にあった石棺のふた石などに、中世になって仏像が彫られたとみられています。全国でも石棺仏は加古川市と加西市に集中しています。刻まれた仏像のほとんどが阿弥陀如来と地蔵菩薩であることから、浄土宗や浄土真宗の造形。主に阿弥陀如来は来世を、地蔵菩薩は現世を祈念しているようです。

【永昌寺 阿弥陀三尊石棺仏 【加古川市神野町】
永昌寺 阿弥陀三尊石棺仏 覆堂
加古川市神野町西条の永昌寺は、ドウダンツツジ
500本が見事なお寺です
もと県道端に祀られていたが、道路拡張のため、
現在位置の永昌寺門前南側に移されました。
中尊の仏高は 約62Cm
中尊の脇侍は、台座下の左右に刻まれていましたが、
落剝の為コンクリートで固められ姿を見ることができません
加西市に入る前に、ひまわり公園の
「そろばん亭」で昼食です
胡麻を摺って ヘレカツ定食です 個数は選べるので2切れです 
1,265円 ちょっとお高いかも
【浄土寺の三体板碑 【小野市浄谷町】
国宝浄土堂  (小野市浄谷町2094
浄土堂内には、全長5.3m、名仏師快慶作の国宝・阿弥陀三尊立像があります。夕方になると、堂内西側の蔀戸から西日が射し、床に反射し、仏像は赤く染まりますが、今回はスルー
浄土寺の三体の板碑
古墳時代の石棺と同じ材料を用いて作られた板碑 

幅約60㎝・高さ130㎝で、正面に
大きく地蔵像が彫られています


下部は欠けていますが、碑面上部に天蓋を置き、➡
その下の中央部に曼荼羅が刻まれています。


上部が失われた、阿弥陀三尊が死者を迎えに来る
「来迎」の姿が刻まれています
 
加西市へと・・・
不動の尾石棺仏 【加西市網引】
周遍寺への古い参道沿いに、今回一番「不動の尾 石棺仏」があります。今は廃道になった参道に ぽつねん と佇んでいます。
この道はどこへ行くのだろう?と想像力を掻き立てられるような
雰囲気に包まれています。
周りの風景にとけ込み石棺の美しさを
十分生かした石仏です。夏には、石棺仏が隠れるほどに
草が茂り、また違った雰囲気をかもし出しそう。

高さ180cm、幅95㎝、厚さ35㎝の家型石棺の蓋石の
内面に、地蔵菩薩がやや厚く薄肉彫りされています。

不動の尾 石棺仏のお顔を・・・
この石棺仏から北へ細い山道を行くと白雉2年(651)法道仙人が、堂宇を建立したことにはじまるという古刹周遍寺があります。
左手の山向こうになるのでしょうか?。今では、野原になり、参道の面影はないです。


浮彫地蔵菩薩半跏像石棺仏  【加西市網引】

浮彫地蔵菩薩半跏像石棺仏
住吉神社参道より離れた山裾にあり、
ちょっと見た目では解りにくい場所にあります。

薄めの石棺に彫られた仏を見ることが出来ますが、
輪郭こそわかりますが細やかな部分は風化
などにより見にくいです
浮彫地蔵菩薩半跏像が彫り出されています。南北朝前期頃のものだそうです。
加西市網引町、県道79号線網引交差点から北に
150
m程進むと、道路西側に2基の古墳があります。

状覚山1号墳
開口部を・・・
封土が流失して玄室のみになっています。 状覚山2号墳
状覚山2号墳は状態良く残っています 玄室・・ちょっと中へと
玄室長さ約4m程 幅高さ共2m程、
直立しても大丈夫です
墳丘もきれいに残っています。
墳丘から網引町内を・・・
ハメ塚石棺仏 【加西市網引】 
状覚1号墳の裏にあります。
106×72×21㎝の石棺底石に、ハメ塚石棺仏、
地蔵菩薩立像が浮彫されています
模式化の進んだ南北朝前期頃の作風で、
顔面は磨滅していますが、衣装、台座が
丁寧に彫られている。

お顔を・・・ 傍にハメ塚も・・・
 
倉谷 薬師堂 【加西市倉谷】
倉谷 薬師堂
堂内に阿弥陀如来石棺仏がお祀りされているようですが、
扉が閉まっていて見ることが出来ません
薬師堂左手に石棺が並んでいます。
詳細は不明で、薬師堂近くの後藤山古墳から
出土した可能性が指摘されています。
一番右側の石棺、微かに阿弥陀如来さまのようなお顔が・・・ 薬師堂近くに梅の花が・・・
桜も一輪・・春はもうすぐそこまで来ているか???

 
如意山・周遍寺 【加西市網引】
 県道79号線網引交差点戻り県道79号線から急坂の山道を800m程登りきると周遍寺です
駐車場もあり、車で上がることができます。ここまでの道は、車1台やっと通れる細い道です。
 高野山真言宗 如意山 周遍寺
(加西市網引1964)
 天へと続くような石階段です
石段の横に咲く水仙 石段は綺麗に整備されて、一定な
間隔で素敵な言葉が書かれていました
石段中間地点にも開けた場所があります。
お堂は朽ち果てた状態になっていますが、多分大師堂
自然豊かな周遍寺周辺は人の手が長らく
入っていない寂れた雰囲気が漂っています
 一言一言読みながら上がっていきます  一番気に入った言葉です
ようやく本堂に到着、境内は広いです。中央東向きに如意輪観音菩薩を本尊とする本堂、孝徳天皇の時代白雉2年(651年)法道仙人が、この山の北の峰に石に写した妙経一部全文を納め、経の尾と号し堂宇を建立したことにはじまるという古刹です。   本堂・南無釈迦如来の幟が
風にたなびいています
 本堂右側に開山堂 本堂の裏側には、四国八十八ヶ所札所めぐりがあります。
経尾山ハイキングコースにもなっているようです
 
 四国八十八ヶ所めぐりは歩き良い道になっていました  本堂裏側に立っている石造多層塔は天和2年に
再興を手掛けた高田六郎右衛門の寄進によるものです。
 経尾山・毘沙門への分岐地点に稲荷神社  四国八十八ヶ所札所めぐり後半は下りです
周遍寺に至る参道は、春は桜、秋は紅葉が美しく、境内からは遠く明石海峡大橋や淡路島などを望むことができます。
境内から山々を望む。加西市観光二十選に
選ばれている歴史ある寺院です。
先人達も見たであろう、愛しきものたちに
手を遇わせた一日でした