石棺仏の石の正体は古墳時代の「石棺」。古墳の中にあった石棺のふた石などに、中世になって仏像が彫られたとみられています。播磨は石棺仏の宝庫といわれています。全国に200基ある石棺仏の約9割が播磨地方に集中しています。播磨の中でも、加西市・加古川市・加古郡・加東市に特に多く、その理由はよくわかっていませんが、これらの地方は、竜山石や高室石、長石の産地で石棺仏の材料である石が豊富にあったとされています。刻まれた仏像のほとんどが阿弥陀如来と地蔵菩薩であることから、浄土宗や浄土真宗の造形。主に阿弥陀如来は来世を、地蔵菩薩は現世を祈念しているようです。石棺仏の制作年代は鎌倉時代から室町時代までに限定されています

 神木の石棺仏・板碑
(平荘町神木)
 西山消防庫隣の板碑4点
(平荘町西山)
 ほほえみ地蔵
(平荘町西山)
 里の観音堂石棺・石棺仏
(平荘町里)
 地蔵堂の石棺仏
(平荘町養老)
養父寺 石棺仏
(小野市来住町)
 常楽寺 石棺仏
(東神吉町神吉)
 常福寺 石棺仏
(西神吉町大国)
 正岸寺 石棺仏
(西神吉町岸)
上西条地蔵堂 石棺仏
(八幡町上西条)
 常光寺 石棺仏
(神野町神野)
 大龍寺石棺仏
(小野市西脇町)
願生寺公園墓地の石棺仏
(神野町神野)
成福寺墓地石棺仏
(八幡町上西条)
西之山阿弥陀石棺仏
(神野町西之山)
西之山共同墓地石棺仏
(神野町西之山)
堂田の石棺仏
(加古川市石守)
中津石棺仏
(加古川市中津)
那須野与一石棺仏
(東神吉町) 
真福寺 石棺仏
(西神吉町宮前)
皿池の二尊石棺仏
(志方町)
長楽寺 六尊石棺仏
(平荘町小畑) 
八尊石仏仏
(平荘町小畑) 
密蔵寺 石棺仏
(加西市網引)
上宮木石棺仏
(加西市上宮木)
玉野石棺仏
(加西市玉野)
地蔵寺 六地蔵石棺仏
(平荘町池尻)
報恩寺 四体阿弥陀坐像
(平荘町山角)
新中山石棺仏
(平荘町中山)
堂山六地蔵
(志方町広尾)
見土呂石棺仏
(上荘町見土呂)
山伏峠石棺仏
(加西市玉野町)
春岡寺 阿弥陀石棺仏
(加西市池上町)
永昌寺 阿弥陀三尊石棺仏
(神野町)
浄土寺の三体板碑
(小野市浄谷)
不動の尾石棺仏
(加西市網引)
浮彫地蔵菩薩半跏像石棺仏
(加西市網引)
ハメ塚石棺仏
(加西市網引)
倉谷 薬師堂
(加西市倉谷) 
如意山・周遍寺
(加西市網引) 
2022年6月13日、10回目の石棺仏めぐりです
 熊野神社西側、道路に面して小高くなっているところに、神木石棺仏があります。 
 中央:大型の家形石棺の蓋石を利用したものです  右隣、何か彫られていますがはっきりしません
 二重光背を持つ一体の阿弥陀如来坐像が刻まれ
下部には蓮華座が線刻されています。
棺の身に接する面は綺麗な平面をなし、
石棺としての丁寧な作りになっています
 左側の五輪塔は空輪を欠失し
別物をn載せ立っている
 内面彫り下げ部をさらに深く掘り刻まれています
一般に「大日さんの石仏」と呼ばれています
 背面の屋根型は綺麗に残っています
 大日さんの石仏の場所を下りた所に、コンクリートブロックに囲まれた一角がありその中に神木の釈迦一尊種子板碑が・・  組合せ式石棺の底石が使われています。
 中央部分に周囲より高い段が付けられ段の中に
薬研彫りで梵字が、釈迦如来を表すバクを刻んだものです
後方:元東林寺跡にあったものが
この場所に移設されました
 
 西山消防車庫隣の板碑:中央の板碑は組合せ式石棺の側石に金剛界大日如来を意味する種子が刻まれています
左隣にあるものは欠損している部分が大きく、現在見られるのは阿弥陀如来の梵字のみとなっています
 左:組合せ式石棺の長側石、阿弥陀三尊の種子が刻まれています。中央に上に大きく阿弥陀如来を表す梵字、
右下に観世菩薩を表す「サ」、右下に勢至菩薩を表す「サク」が彫り方は浅く風化により読みにくい。
右の板碑は組合せ式家形石棺の底石を利用したもので、阿弥陀如来を意味する梵字が彫られています 
 
 西山のお堂 ほほえみ地蔵  右は刳り貫き式家形石棺の身の側板部分を削り落とした底の内面に線刻によって表現された蓮華座の上に立つ地蔵菩薩立像です。
 組合せ式家形石棺の長側石を利用したもの。  左手に宝珠を捧げ、右手に錫杖を持ち頭光の中に描かれた顔立ちはふくよかである。この顔を燈明の明かりで見るとほほえんでいるように見えることから別名「ほほえみ地蔵」と呼ばれています
(応長元年(1311)制作)
 上の像は地蔵菩薩坐像で蓮華座に乗り
宝珠を捧げ錫杖を持っています。
 下の像は、亡き夫と自分を彫ったもので、亡き夫の供養と
自分の死後の冥福を祈り手を合わせている
 
 里の観音堂  観音堂の左右に、家形石棺の蓋二基が内面を
向かい合わせるように立てられています
 右側は幅90㎝で屋根の形をよく残しています。
内面には深い彫り込みがあります
 左側は幅85㎝、何箇所か加工の手が加えられています
 観音堂の左手奥に石棺仏があります  上部はいびつな円を描くように削られていますが長側石、
舟形光背を大きく彫り、中に乗る阿弥陀坐像が刻まれています
 光背の左右の面を一段低く削っているため、
像は石の表面より浮き出たようにまっています
 石棺仏石段上に古い五輪塔等が
まとめて置かれています
 
 養老の石棺  石棺側の木々に隠れるように五輪塔??
養老 地蔵堂の石棺仏
小さな公園にコンクリートブロック製の建物が2棟あり、左の建物に1基の石棺仏があります。組合せ式家形石棺の長側石に4体の阿弥陀坐像で上下に2体ずつ彫られています
 上部:三弁の蓮華座に座る形で、
光背は二重光背になっています
 下部:表面が黒ずんでいるのは香煙によるものという。一時期、溝の橋として使われていたものが石棺仏と分り、改めてお祀りされるようになったとか  右の建物にはお地蔵様の両端に2基の
石棺仏が無造作に置かれています
 左の石は欠損が大きいが組合せ石棺の短側石で、左に阿弥陀坐像、
右に錫杖を持つ地蔵菩薩立像が深彫りされています
 組合せ式石棺の側石に蓮華座に乗る阿弥陀坐像が、
合掌する姿で、光背は二重、三体は残っていますが
下左は石が欠けれしまっています。


2022年6月2日、9回目の石棺仏めぐりです
養父寺(小野市来住町1099)
養父寺は飛鳥時代に聖徳太子が開創したと伝えられる東明寺の
廃寺跡に1678年姫路藩主が再興した黄檗宗のお寺です
寺の正面参道脇に仁王像の如く、祀られています
探すのに苦労しました。
左側は156×71×24㎝の側石に、右側は160×72×24㎝の底石にそれどれ
蓮華座上の地蔵菩薩立像を浮彫し、線彫りで細かく彫られています
右手に錫杖を持ち左手に宝珠を
持っているように見えます
右側の石棺仏のお顔を・・・
2基ともに、室町中期頃の造立と推測されています。
本堂へと・・・ 本尊:薬師如来  南北朝時代の供養塔で、高さ4mで花崗岩製で一部
破損していますが九重の塔婆と考えられています
貞和4年(1340)に建立
 
 常楽寺(神吉城跡)
(東神吉町神吉1413)
 本堂 本尊:阿弥陀如来
 石棺の身 凝灰岩(竜山石) 古墳時代後期 長さ114㎝ 幅56㎝ 高さ40㎝
 鬼瓦のオンパレード
建て替えの時の鬼瓦かもしれません?

 石棺の身に半肉彫りした地蔵菩薩像
珍しいのは上部を屋根状に丸く加工しています。
現在の大きさは88cm×72cm×25.9cm
お顔を・・ 
 
 常福寺(西神吉町大国340)
境内にある鐘楼の袴部分がはみだしています
本堂前のアナベルが見頃
手入れが行き届いています
 境内にピンクのアナベル  山門を入った右側、境内南壁前に二体の石棺仏ある
阿弥陀如来立像が彫られています
家型石棺の蓋を利用
 112×69×26㎝(像高さ47㎝)
錫杖を持つ地蔵菩薩立像が彫られていますが
組み合わせ石棺の底石を利用
93×72×25㎝
  頭光は三本一組の放射光光背が見られるが
写真では判り辛いです
 風化が進み、かなり見難いです
 
 正岸寺(西神吉町岸488)
陰陽師として有名な安倍晴明のライバルとして知られる、
蘆屋道満(あしやどうまん)
の屋敷があった寺。
 本堂
 山門くぐると左手にある庭園に石棺仏 築山の中に立つ石棺仏は底石に
阿弥陀如来が刻まれています
 蓮華座ではなく、四角い台の上に座しています
96×56×16㎝ 像高29㎝
室町時代後期、凝灰岩
 お顔を・・・はっきり見ることが出来ません
 石棺仏と弘法大師像を横から 境内の隅に石仏と石塔が多数・・・ 
 すぐそばに刳抜式石棺の身で、一部破損しています。
117.5×62×45cm 境内の土中から発見されたそうです
古墳時代の家形石棺の蓋石。はじめ岸墓地の
供物台であったが正岸寺に移動されました  

2022年㋄28日、8回目石棺仏めぐりです
上西条地蔵堂
公民館の向かいに広場があり、奥に小さなお堂があります
地蔵堂の中、左手にお祀りされています
家形石棺の蓋に地蔵菩薩立像が彫られています
造られた時期は南北朝時代から室町時代
高さ85㎝、前掛けがしっかりされており、
お顔から下は見えません
 お堂の裏ににある石棺は、古墳時代の組み合わせ式石棺の
側石の部材で元の長さは164㎝。現在は長さ87㎝・幅66㎝
お堂横に、これは??
 
 常光寺山門(南側)  本堂
江戸時代播磨三十三ヶ所観音霊場を定めた南室禅師が入寂した寺で、播磨三十三ヶ所霊場番外札所になっている、
禅寺でもあり堂宇は勿論、境内の手入れも行き届いていました。
 本堂奥(横)の無縁仏の前列付近に
石棺仏と呼ばれる石造物があります
 組合式石棺の底部を転用したものらしく
2体並んで彫られています
 左側に地蔵菩薩、右側に阿弥陀如来が彫られているようですが
風化による損傷が激しくよく分からない
常光寺:五輪塔
本堂裏側になる境内北隅にあります
南北朝時代 凝灰岩(竜山石)高さ178㎝
守護大名赤松義村の墓ともいわれています

2022年5月26日7回目の石棺仏めぐりです
午前中は、有酸素運動(カーブス)、昼食後は花々の手入れ 夕方まで時間があるのでちょっこと近場の石棺仏めぐりです。

淵宝山 曹洞宗 大龍寺(小野市西脇町20)
長い石段の途中の中程に石棺仏があります

134×52×25㎝の石棺の底板に六体の地蔵菩薩立像を
半肉彫りしています。

南北朝時代頃の作と伝えられています。

上段の地蔵菩薩立像

下段の地蔵菩薩立像

 横から  本堂 本尊:阿弥陀如来
 手入れの行き届いた境内です。  山門横にクスノキの巨木(市保存樹になってます)
 
 願生寺経塚公園墓地の石棺仏(神野町神野952  願生寺墓地の石棺仏
 上段に阿弥陀如来坐像二軀を彫り、下段に供養者と
考えられる男女の像が彫られています。

南北朝時代の制作と思われます
右に阿弥陀如来立像、左に地蔵菩薩像を彫出したもので、
室町時代の制作と思われます。
 
 成福寺(加古川市八幡町上西条546  成福寺の南側にある墓地の中にあります。
 高さ85cm、幅46cmの組合せ式石棺の側石に
像高
44cmの地蔵立像を薄肉彫りしている
延命地蔵で、右手に錫杖を左手に宝珠持つ。
石仏は胴の辺りで断裂しています。
 高さ91㎝、幅66㎝の家形石棺蓋石に像高27㎝の
地蔵立像を薄肉彫りしたもので、どちらも南北朝時代から
室町時代に造られた物と考えられています
本堂横のお庭  本堂
 横から庫裏を・・・ 庫裏前の庭園 手入れが行き届いています。
 
西之山阿弥陀石棺仏
加古川市西之山公民館の裏にあります。
笹の中に埋もれていてちょっと分かりにくいです 
 彫も深く目鼻立ちもはっきりの残っています。
 家型石棺の蓋石を利用して、石棺の両端を削り落とし、中央に阿弥陀坐像を厚肉彫りしています。地元では「お釈迦さん」としてお祀りされています。166×48×32㎝の大きさで、南北朝か室町時代初期のものと思われています。 石棺仏前の五輪塔
 
 加古川市神野町西之山の共同墓地の入口に、
二体の石棺仏が並んで立てられています。

どちらも作風が似ており、周辺の石棺仏とも共通する
様式であり、南北朝時代の作と思われます。
ともに組合せ式石棺の側石を使用しています。

左側は116cm×66cm×10.5cmの石材に一体の地蔵立像と
三体の弥陀座像を薄肉彫りしています。

右側は130cm×67cm×20cmの石材に
二体の弥陀座像を浮彫しています。
 


2022年4月18日、6回目の石棺仏巡りです
堂田(どうでん)の地蔵
神野町石守の皿池の北の田んぼに3体の石仏が
お祀りされている。そのうちの一体が石棺仏です
こぼれ地蔵
古くからこの地に祀られていた地蔵で、その昔
石守の宝雲寺の仏たちを野寺に移す途中、
こぼれ落ちたものであるといわれています
右隣の宝篋印塔の基礎、上にのる五輪塔の火輪と同じ
室町時代に造られています。
石棺仏
石棺の蓋に、南北時代に阿弥陀如来の坐像(60㎝)を
彫ったもので、角型の屏風のような形であることから
「屏風岩」ともいわれています
立石地蔵(たごりの地蔵)
咳の病に願いをかけると早く治り、ハッタイ粉を持って
お礼参りをしていたといわれています。
南北時代に造られました
石棺仏阿弥陀如来さまの、お顔 立石地蔵の、お顔

 
中津構居跡
加古川市中津
中津のごんげんさん
熊野神社 若一王子権現
祭神は国常立命・伊邪那岐命・伊邪那美命の
三神がお祀りされています

境内に御神木 中津の権現社、加古川の水管橋のすぐ東にある、
中津石棺仏
  左)石棺仏は105cm×83cm×24cmの石棺材に弥陀如来と思われる如来座像が浮彫にされています。風化が激しく、時期の特定は困難ですが、室町期の作と思われます。 横の頭が三角帽子で下に二段の切込みがある板碑も、相当古いものと思われおそらく室町中期以前の造立と考えられています お顔が削られています。
頭や歯が痛いときに石でお顔を擦り、その白い粉を
痛いところにすり付けると不思議なことに治るそうです。
治ったらお礼に河原で拾ってきた丸い石をお供えするとか。
なるほど、石棺仏の側に丸い石がありました


2022年3月3日、午後から、石棺仏巡り5回目です
那須野与一石棺仏 駐車場
加古川市東神木町1101-5
高砂北条線43号線沿いにあります
那須野与一の石棺仏
那須野与一は、源義経に従い屋島の合戦で平家の
扇の的を弓で射落とした話で有名な武将です。
家型石棺の蓋に、地蔵菩薩坐像が彫られています
銘がないので、何時造られたものか、はっきりしませんが、
室町時代中期に以前に造られたものと考えられています
半分に折れた石仏は、石棺の身に地蔵菩薩立像を
彫ったもので、こちらが
「那須野与一さん」と呼ばれたそうです
「信仰すると長煩いせずにすむと」石碑に刻まれています 石棺仏の後方に五輪塔

 
真福寺 (西神吉町宮前261-1) 真福寺境内に石棺
凝灰岩のくり抜き石棺の身で、古墳時代後期(七世紀)に
造られた考えられています。
長さ110cm・幅55㎝・高さ35㎝
真福寺の北東隅、お堂側に組み合わせ石棺の底石と並んで阿弥陀如来坐像
宮前の石棺仏
向かって右の大きな石板は、古墳時代の組み合わせ
石棺の底石の部材です。長さ172㎝・幅95㎝・厚さ28㎝
古墳時代中・後期(5・7世紀)の家型石棺の蓋石の内側に、
南北朝時代(14世紀)頃に、舟形光背を表現した刳り抜き部の
中で蓮華座上に座す通肩の衲衣(のうえ)をした
阿弥陀如来坐像を彫り出したものです 
お顔を・・像高さ47㎝
地上高さ132㎝・幅81㎝・厚さ40㎝

石棺底石の後ろ側を・・・ 
 
 皿池の二尊石棺仏
皿池と呼ばれる溜池は加古川市に三か所にある。この石棺仏は志方小学校の南西の
県道65号線と515号線の交わる交差点の北西にある皿池の北西隅の空き地にあります 
皿池の二尊石棺仏。綺麗なお花が生けられています。 
石棺の上半に高さ30㎝の阿弥陀如来と地蔵菩薩の坐像が刻まれています。
室町時代前期に彫られたものと考えられ、均整がとれて気品がある石仏として志方町随一といわれています 



2022年2月14日、石棺仏巡り4回目です
石垣に囲まれた長楽寺 
(加古川市平荘町小畑)
長楽寺は曹洞宗の寺院です
聳え立つ山門前にお地蔵さんが、
お祀りされているお堂があります
 山門をくぐると直ぐに古い石仏が出迎えてくれます 本堂
本堂の西横に墓地があり、その中に石棺仏があります
長楽寺六尊石棺仏(市指定文化財、南北朝時代前期、
流紋石、高186㎝ 幅121㎝ 厚さ26.6㎝)
石棺仏の手前に、くり抜き石棺の身が置かれている
中段は地蔵菩薩立像
縄掛け突起付きの家型石棺蓋
 上段、二体の阿弥陀如来仏(光背を彫りくぼめ
如来坐像が半肉彫りされています)

 下段、坐像と立像の地蔵菩薩
平荘の田園風景が広がる一角に八ツ仏(八尊石仏)と呼ばれる石棺仏があります (加古川市平荘町東小畑)
覆屋に安置されている、八ツ仏 上段の二体と縁部四体は阿弥陀如来像、内側下段の
向かって右の像は地蔵菩薩、向かって左の尊名は不詳
八ツ仏(八尊石仏)市指定文化財、南北朝時代
高さ155㎝ 幅116㎝ 厚さ88㎝ 凝灰石
隣の巨石は石棺??


2022年2月7日、花の便りが届くのに、もう少し時間がかかりそうなので石棺仏めぐり、第三回目です。
高野山真言宗如意山 周遍寺 密蔵院 (加西市網引町)
楼門の前の広場に観音像を中心として、古い墓石などが集められた一角があります。
その墓石に向かって手前に、古い石棺仏があります
石棺蓋に阿弥陀如来坐像石棺仏
鎌倉時代の制作といわれています

彫は深く体躯の割に大きく
四角い頭部が目立ちます
 

上宮木石棺仏  (加西市上宮木)
上宮木石仏と呼ばれる石棺仏は加西中学に対面する上宮木集落の中程、木立を背にした道路脇一列に立ち並んでいます
石棺底石に浮彫阿弥陀如来坐像
凝灰石 高さ131㎝、幅74㎝ 厚さ20㎝
極楽浄土への成仏を願う阿弥陀信仰の表れとされています

阿弥陀仏を表す「キリーク」 の梵字仏で、
これも石棺石が利用されています
 
全く人通りの無い田舎道、雑木林に隠れるようにあるのが、玉野石棺仏、何ともいえぬ風情があります
阿弥陀如来坐像石棺仏(市指定文化財)鎌倉時代後期
凝灰石 高さ180㎝、幅103㎝、厚さ27㎝

裏側を見ると石棺の蓋であることが分かります
 
地蔵寺立派な石垣のお寺です
(加古川市平荘町池尻上の山1271-1
山門前に堂々たる仁王像!!
曹洞宗 地蔵寺 本堂 市指定文化財になっている石棺仏が並んでいます
六地地蔵石棺仏 
鎌倉時代後期 高さ135㎝ 幅102㎝
下段、合掌する男女の被供養者像

地蔵立像(鎌倉時代後期、高さ147㎝ 幅62㎝ 像高44.5㎝
上部に二重円光背を彫くぼめ、右手に鍚杖、
左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像が刻まれています
 
報恩寺山門へ続く石段
(平荘町山角)
山門側に
この石棺は、くり抜き石棺の身で
この近くの古墳から発見されたものです
長さ147m 幅66㎝ 高さ55㎝
報恩寺本堂 本尊・十一面観世音菩薩
和銅6年(713年)、慈心上人の開基と言われています
石棺板碑  風化して読めないです
阿弥陀三尊を梵字種子で薬研彫。
弘安七と読める銘文があることから、
鎌倉時代の弘安7年(1284)に作成。
この塔は花崗岩製の十三重の層塔で基礎の左側面に
「常勝寺 元応元年己末11月6日」の銘があり、
鎌倉時代後期(1319年)に造立。総高5.64mで
十九尺塔として造立されたものです
四体の阿弥陀坐像
この石仏は組合式石棺の側石に四体の阿弥陀坐像を彫い出したものです。各仏像は線刻した蓮華座と舟形の輪郭の中に彫り出されています。銘文 文和2年2月から南北朝時代の造立であることがわかる
地蔵菩薩

石造五重層塔
 
 昭和50年頃、中山集落の一部と集落の熊野神社は権現ダムの建設より水没した。それに伴い、
中山集落と熊野神社は平荘町神木(こうぎ)の東に移動し、新しい集落は新中山と命名された。
中山にあった熊野神社は、うっそうとした木立の間にあり石段を登りつめた所にある荘厳なお宮でした。
新中山の新しい熊野神社の鳥居をくぐり石段を進むと、すぐ左手に石棺仏を見つけることができます
(本当はすごく探しました)
新中山阿弥陀坐像石棺仏
家形石棺に舟形光背の中に合掌した阿弥陀坐像が
刻まれています。家形の屋根の斜面の部分に
仏像を彫った珍しい石棺仏です
裏側
凝灰石(竜山石)製 南北朝時代 高105㎝
仏像 高さ21.5㎝ 中山権現社

 
堂山六地蔵 (志方町広尾)
広尾東バス停前の堂脇に六地蔵石棺仏が在ります
広尾地蔵堂の六地蔵石仏 
家形石棺の蓋石に舟形光背をもつ6体の地蔵菩薩立像を
上下二段に分けて半肉彫りしたものです。
六地蔵の左下には、この石仏の施主とみられる
女人の姿が刻まれています。
南北朝~室町時代 凝灰岩(竜山石)
 高さ90㎝ 幅64㎝ 厚さ27㎝

六地蔵左側の石仏は何も説明がなく
座台に文字が刻まれていましたが読み取ることが
出来ませんでした
 
大師堂
(上荘町見土呂)
見土呂石棺仏
高さ174㎝  幅125㎝ 
室町時代
 前に傾いています。  阿弥陀三尊像を半肉彫りしたもので、石仏としては
保存状態が、非常に良好です
室町時代前期、赤松満祐の管下おかれた井口城の城主の娘「見土呂姫」の悲しい伝説が残っています 

2022年2月3日、田舎の風情が残る淡河町で、ふんわりもちもち美味しいベーグルが食べられる茅葺屋根の
パン屋さん【はなとね】へ、行ってきました。その帰りに山伏石棺仏へと2回目です・・・淡河から加西市山伏峠まで40数キロ、 
加西市玉野町のスポーツ施設【アラジンスタジアム】と
ため池の間に里山へ向う細い道を進みます。
「山伏峠の石棺仏」3基並んでいます
加西市玉丘町

           阿弥陀座さまのお顔を・・



←一番手前の石棺仏は、縄掛け突起付きの家型石棺蓋
石そのままの内側に阿弥陀座像が刻まれています。

播磨石棺の石棺仏で一番の大きさという事です。
高さ2.25m幅 1.24m 厚さ40㎝

 石棺の蓋石に7体の地蔵が刻まれています。
左手に宝珠を持つ地蔵菩薩半跏像半跏を中央に、その左右に3体ずつの地蔵菩薩立像(六地蔵が彫られている)
播磨の石棺仏では唯一、長持ち式石棺を使った石棺仏で左右各2個の縄掛け突起をそのまま残していて、
この石棺仏の魅力になっています。

高さ2.1m 幅1.05m 厚さ18cm  左下部に暦応元年(1338)の銘がある。
石棺材を舟型に形成し、阿弥陀座像と
左右に地蔵が刻まれています。


山伏峠の石棺仏を後に、
春岡寺の阿弥陀石棺仏へと向かいます
 
 春岡寺の阿弥陀石棺仏は、鎌倉時代のもので秀逸といわれています。
春岡寺の開創は不詳ですが、多くの石仏が残り、徳本上人石像と名号碑が目を引きます
加西市池上町の田園の中に小さな薬師池を囲み込む様に
緑濃い森が広がり、池を前面にして小さな本堂の春岡寺が
ひっそりと建っています
薬師池沿いを突き当りまで進むと、
境内入り口に辿り付きます 
境内に入るとすぐに多くの石仏達が出迎えてくれます

優しいお顔の阿弥陀様
市指定の文化財


多数の石仏たちを・・・
腰の辺りで大きく二つに折れていますが、
高さ2m、幅98㎝の大きな家型石棺蓋石の内面に、
阿弥陀如来坐像を浮彫りで刻んでいる
南無阿弥陀仏名号碑と徳本上人像 高野山真言宗春岡寺本堂 
本尊・阿弥陀如来
本堂前に蠟梅が・・ 春の足音が聞こえてきそう

2022131日、不動の滝を検索したところ、「不動の尾石棺仏」が・・・一目で見てみたいと思い石棺仏巡りに出かけてみました。石の正体は古墳時代の「石棺」。古墳の中にあった石棺のふた石などに、中世になって仏像が彫られたとみられています。全国でも石棺仏は加古川市と加西市に集中しています。刻まれた仏像のほとんどが阿弥陀如来と地蔵菩薩であることから、浄土宗や浄土真宗の造形。主に阿弥陀如来は来世を、地蔵菩薩は現世を祈念しているようです。

永昌寺 阿弥陀三尊石棺仏 覆堂
加古川市神野町西条の永昌寺は、ドウダンツツジ
500本が見事なお寺です
もと県道端に祀られていたが、道路拡張のため、
現在位置の永昌寺門前南側に移されました。
中尊の仏高は 約62Cm
中尊の脇侍は、台座下の左右に刻まれていましたが、
落剝の為コンクリートで固められ姿を見ることができません
加西市に入る前に、ひまわり公園の
「そろばん亭」で昼食です
胡麻を摺って ヘレカツ定食です 個数は選べるので2切れです 
1,265円 ちょっとお高いかも
国宝浄土堂  (小野市浄谷町2094
浄土堂内には、全長5.3m、名仏師快慶作の国宝・阿弥陀三尊立像があります。夕方になると、堂内西側の蔀戸から西日が射し、床に反射し、仏像は赤く染まりますが、今回はスルー
浄土寺の三体の板碑
古墳時代の石棺と同じ材料を用いて作られた板碑 

幅約60㎝・高さ130㎝で、正面に
大きく地蔵像が彫られています


下部は欠けていますが、碑面上部に天蓋を置き、➡
その下の中央部に曼荼羅が刻まれています。


上部が失われた、阿弥陀三尊が死者を迎えに来る
「来迎」の姿が刻まれています
 
加西市へと・・・
周遍寺への古い参道沿いに、今回一番「不動の尾 石棺仏」があります。今は廃道になった参道に ぽつねん と佇んでいます。
この道はどこへ行くのだろう?と想像力を掻き立てられるような
雰囲気に包まれています。
周りの風景にとけ込み石棺の美しさを
十分生かした石仏です。夏には、石棺仏が隠れるほどに
草が茂り、また違った雰囲気をかもし出しそう。

高さ180cm、幅95㎝、厚さ35㎝の家型石棺の蓋石の
内面に、地蔵菩薩がやや厚く薄肉彫りされています。

不動の尾 石棺仏のお顔を・・・

この石棺仏から北へ細い山道を行くと白雉2年(651)法道仙人が、堂宇を建立したことにはじまるという古刹周遍寺があります。
左手の山向こうになるのでしょうか?。今では、野原になり、参道の面影はないです。

浮彫地蔵菩薩半跏像石棺仏
住吉神社参道より離れた山裾にあり、
ちょっと見た目では解りにくい場所にあります。

薄めの石棺に彫られた仏を見ることが出来ますが、
輪郭こそわかりますが細やかな部分は風化
などにより見にくいです
浮彫地蔵菩薩半跏像が彫り出されています。南北朝前期頃のものだそうです。
加西市網引町、県道79号線網引交差点から北に
150
m程進むと、道路西側に2基の古墳があります。

状覚山1号墳
開口部を・・・
封土が流失して玄室のみになっています。 状覚山2号墳
状覚山2号墳は状態良く残っています 玄室・・ちょっと中へと
玄室長さ約4m程 幅高さ共2m程、
直立しても大丈夫です
墳丘もきれいに残っています。
墳丘から網引町内を・・・
状覚1号墳の裏にあります。
106×72×21㎝の石棺底石に、ハメ塚石棺仏、
地蔵菩薩立像が浮彫されています
模式化の進んだ南北朝前期頃の作風で、
顔面は磨滅していますが、衣装、台座が
丁寧に彫られている。

お顔を・・・ 傍にハメ塚も・・・
 
倉谷 薬師堂
堂内に阿弥陀如来石棺仏がお祀りされているようですが、
扉が閉まっていて見ることが出来ません
薬師堂左手に石棺が並んでいます。
詳細は不明で、薬師堂近くの後藤山古墳から
出土した可能性が指摘されています。
一番右側の石棺、微かに阿弥陀如来さまのようなお顔が・・・ 薬師堂近くに梅の花が・・・
桜も一輪・・春はもうすぐそこまで来ているか???

 
 県道79号線網引交差点戻り県道79号線から急坂の山道を800m程登りきると周遍寺です
駐車場もあり、車で上がることができます。ここまでの道は、車1台やっと通れる細い道です。
 高野山真言宗 如意山 周遍寺
(加西市網引1964)
 天へと続くような石階段です
石段の横に咲く水仙 石段は綺麗に整備されて、一定な
間隔で素敵な言葉が書かれていました
石段中間地点にも開けた場所があります。
お堂は朽ち果てた状態になっていますが、多分大師堂
自然豊かな周遍寺周辺は人の手が長らく
入っていない寂れた雰囲気が漂っています
 一言一言読みながら上がっていきます  一番気に入った言葉です
ようやく本堂に到着、境内は広いです。中央東向きに如意輪観音菩薩を本尊とする本堂、孝徳天皇の時代白雉2年(651年)法道仙人が、この山の北の峰に石に写した妙経一部全文を納め、経の尾と号し堂宇を建立したことにはじまるという古刹です。   本堂・南無釈迦如来の幟が
風にたなびいています
 本堂右側に開山堂 本堂の裏側には、四国八十八ヶ所札所めぐりがあります。
経尾山ハイキングコースにもなっているようです
 
 四国八十八ヶ所めぐりは歩き良い道になっていました  本堂裏側に立っている石造多層塔は天和2年に
再興を手掛けた高田六郎右衛門の寄進によるものです。
 経尾山・毘沙門への分岐地点に稲荷神社  四国八十八ヶ所札所めぐり後半は下りです
周遍寺に至る参道は、春は桜、秋は紅葉が美しく、境内からは遠く明石海峡大橋や淡路島などを望むことができます。
境内から山々を望む。加西市観光二十選に
選ばれている歴史ある寺院です。
先人達も見たであろう、愛しきものたちに
手を遇わせた一日でした